2025年、プロ野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんがこの世を去り、多くの人がその死を悼みました。
その中で話題になったのが、「喪主を務めたのは長男の一茂さんではなく、次女の三奈さんだった」という点です。
「なぜ娘さんが?」と思われた方も多いかもしれませんが、そこには長年にわたる家族の関係や、三奈さんの深い役割がありました。
この記事では、その理由をわかりやすくお伝えします。
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長嶋茂雄喪主なぜ長男一茂じゃない?
1. 親子の関係がうまくいっていなかったから
一茂さんは以前、自分の本の中で「父とは13年間会っていない」と話していました。
この言葉のとおり、長いあいだ会っていなかったそうで、家族とも距離ができていたようです。
テレビなどでは親子のやりとりが明るく映ることもありましたが、実際の関係はずっと冷えたままだったのかもしれませんね。
2. 商標や家のものをめぐってもめたことがあった
2009年ごろには、「長嶋茂雄」という名前の商標登録をめぐって、兄妹の間でトラブルがあったという話もあります。
また、長嶋さんに関するグッズや家にあった思い出の品を、一茂さんが処分してしまったこともあったそうで…。
このことがきっかけで、兄妹の関係にもヒビが入ったのでは?と言われています。
家族の思い出って、ただの“物”じゃないですよね。
その扱い方が原因で、すれ違いが大きくなってしまったのかもしれません。
3. 「遺産は放棄した」とテレビで話していた
一茂さんはテレビで「遺産は放棄している」とも話していました。
法律的に“生前の放棄”はできないとはいえ、父の財産に頼るつもりはない、という気持ちの表れだったんじゃないでしょうか。
そういった考えがあるからこそ、葬儀にもあまり関わらなかったのかもしれませんね。
長嶋茂雄喪主を次女三奈が務めた理由解説
1. お父さんの介護をずっと支えてきたから
茂雄さんは2004年に脳梗塞で倒れられ、それからの毎日が介護との向き合いだったそうです。
当時は奥さまの亜希子さんと、三奈さんが二人三脚で支えていたそうですが、2007年にお母さんが亡くなってからは、三奈さんが一人でお父さんのケアを続けていたと言われています。
ごはんのサポート、リハビリの付き添い、外出の介助、さらにはイベントなど公の場に出るときの準備まで、すべて三奈さんが担っていたそうです。
「娘」としてだけじゃなく、「介護者」として、毎日そばで寄り添っていたんですね。
だからこそ、お別れのときも“いちばん近くにいた人”として、その役目を果たされたのだと思います。
2. 家族の代表として動いてきたから
三奈さんは、長嶋茂雄さんの個人事務所「オフィスエヌ」の代表も務めていました。
茂雄さんの名前やブランド、肖像権などを守る立場で、日頃からメディアや関係者との調整も一手に引き受けていたそうです。
要するに、“長嶋家の公式窓口”という立ち位置だったんですね。
喪主は、ただ遺族の中で一番近い人というだけでなく、外とのやり取りも求められる大きな役目。
三奈さんはその役割を、日ごろから自然と担っていたということになります。
まとめ
喪主=長男という考え方がまだ根強く残るなかで、三奈さんがその大役を務めた背景には、「長年そばで支え続けてきた人」という揺るぎない事実がありました。
介護の時間をともに過ごし、家族の“窓口”として動き続けた三奈さんだからこそ、喪主というかたちでお父さんを見送ることになったのだと思います。
ちなみに、私の祖父が亡くなったときも、高校卒業後に家を出た長男ではなく、農家を継いだ次男が喪主を務めていました。
これからは、血縁や形式だけでなく、「どれだけ寄り添ってきたか」が重視される時代になっていくのかもしれませんね。