ディズニーの名作『塔の上のラプンツェル』は、その美しい映像と感動的なストーリーで多くのファンを魅了しました。
その中でも特に話題となったのが、ラストシーンでラプンツェルの長い金色の髪がバッサリと切られ、ショートヘアになる場面です。
あの大胆なイメチェンに、ネット上では「可愛くない」「似合ってない」という声も見られる一方、「ショートも素敵」「芯の強さが表れてる」と評価する声もあります。
本記事では、ショートヘアの意味や、髪を切ったその後、伸びない理由について、続編や関連作品も含めて深く掘り下げていきます。
ラプンツェルのショートは可愛くない?
『塔の上のラプンツェル』で象徴的だったのが、ラプンツェルの“魔法の髪”。
24メートルにもなる金色の髪は彼女のアイデンティティであり、癒しの力を持つ特別な存在でした。
その髪を、物語のクライマックスでユージーンが切り落としたことで、彼女の姿は一変します。
ロングヘアから茶色いショートボブに変わったラプンツェルは、まるで別人のようにも見え、視聴者に強いインパクトを与えました。
ショートヘアを「可愛くない」と感じる人の多くは、やはり「金色のロング=ラプンツェル」という印象が強かったからでしょう。
また、ディズニープリンセスといえば長く美しい髪というイメージが根強いため、ショートスタイルに違和感を持ったのも無理はありません。
しかし、あのショートヘアには物語上の重要な意味が込められています。
それは、“自由”と“自立”の象徴。
外の世界に憧れながらも、魔女ゴーテルの支配下で過ごしてきたラプンツェルにとって、髪を失うことは呪縛からの解放でした。
見た目は変わっても、彼女の本質は何も変わらない。
むしろ内面の成長を反映した変化として、高く評価されるべきでしょう。
ラプンツェ髪を切ったあとどうなる?
髪を切ったあと、ラプンツェルは両親のもとに帰り、王国での生活を始めます。
そこで描かれるのは、単なるおとぎ話の“ハッピーエンド”にとどまらない、彼女のその後の人生。
『ラプンツェルのウェディング』やテレビアニメシリーズ『ラプンツェル ザ・シリーズ』(原題:Tangled: The Series)では、王女としての立場や、自身の役割に葛藤しながら成長していく姿が描かれます。
特にテレビシリーズでは、ラプンツェルが再び長髪になる展開がありますが、これは偶然手にした“闇の魔法の力”によるもの。
金色ではなく黒くて硬質な髪で、元の魔法の髪とはまったく異なります。
この新たな髪もまた、彼女の内面や物語の変化を象徴しており、ショートになった髪とは別の意味を持っています。
ラプンツェルの物語は、髪の長さや見た目だけで評価されるものではなく、環境の変化とともに揺れ動く心や、自分の足で人生を歩もうとする姿勢こそが、本当の魅力と言えるでしょう。
ラプンツェルの髪は伸びない?
映画のラストで切られた髪は、魔法の力とともにその効力を失います。
その結果、ラプンツェルの髪は切り落とされた瞬間に金色から茶色へと変わり、以降は「普通の髪」となったと考えられています。
つまり、もう以前のように魔法の力で再生したり、急激に伸びたりすることはありません。
この設定は、ディズニー公式のスピンオフ作品でも一貫しています。
『ラプンツェル ザ・シリーズ』での再び長くなる髪は、完全に別の魔法によるもの。
視聴者にとっては、「また髪が伸びた?」と混乱するかもしれませんが、あくまでも“異なる魔力”による変化であり、オリジナルの魔法の髪とは別物です。
ラプンツェルの髪が伸びないことには、「過去との決別」「自分自身で未来を切り開く」という象徴的な意味も込められています。
魔法に頼ることなく、現実世界の中で人間関係を築き、困難を乗り越えていく姿が、彼女の物語をよりリアルで共感できるものにしているのです。
まとめ
『塔の上のラプンツェル』のラストでショートヘアになったラプンツェル。
その姿に対して「可愛くない」との意見もあるものの、そこには外見以上の意味が込められています。
長い金色の髪は彼女の“魔法”と“囚われの象徴”でしたが、それを失うことで得られたのは、自由と本当の自分の人生でした。
また、「髪は切ったあと伸びるのか?」という疑問には、ディズニー公式の作品群がヒントを与えてくれます。
オリジナルの魔法の髪は一度失うと再生せず、それがラプンツェルの人間的な成長や自立をよりリアルに描き出す役割を果たしています。
スピンオフで再び長くなる展開もありますが、それは別の魔法の影響であり、彼女が過去と決別し新しい自分を受け入れていく過程の一部です。
つまり、ラプンツェルの魅力は髪の長さにあるのではなく、その芯の強さと前向きな心、そして自由を求める姿勢にこそあるのです。
ショートヘアは、その変化と成長を象徴する新たなアイコン。
見た目の印象を超えて、ラプンツェルというキャラクターの本質を考えるきっかけになっているのではないでしょうか。